遠藤風琴 「わかば」代表
私は、10代のころから大叔父である富安風生の家に同居するようになり、その後養女として風生の最期をみとるまで、同じ屋根の下で暮らしました。
俳人としての生活が中心になった風生の自宅には、いつも俳句の仲間がたくさん出入りしていて、その人たちの対応はとても大変でした。
私は、養女になった後に結婚をし、しばらく風生の家から離れて暮らしていたのですが、風生の希望によりまた、夫とともに風生宅に同居をしました。
この家でで3人の子どもを育て、風生夫妻の生活や家の切り盛りをしました。
風生は、夏は山中湖へ、冬は房総の方へ長期間出かけて行きますが、その他はほとんど毎日子どもたちもみんな一緒に食卓を囲んで食事をし、
にぎやかな日々を過ごしていました。
その頃の私は、お客さまやお弟子さんたちのお世話をすることに精一杯で、俳句をする余裕はなく、俳句をしようとは考えませんでした。
風生が亡くなって大分してから、俳句を始めてみたら、とても楽しくて、「若葉」に入会し投句するようになったのです。
私が始めたころには、風生が主宰をしていた「若葉」は3代目の鈴木貞雄先生が主宰になっていました。
2022年(令和4年)の4月、鈴木主宰より「若葉」が終刊になることを告げられました。
とても残念で、何とかならないのかと言う気持ちが毎日毎日大きくなっていき、どうしてもじっとしていられない、
私が何とかしなくては、という気持ちに変わっていったのです。
それから私は色々な友人知人に私の気持を熱心に話しました。
多くの先輩や友人から励ましやご意見、ご賛同を頂き、協力してくれる仲間がどんどん増え、新しい俳句の会、俳句結社「わかば」が立ち上がることになったのです。
私は長年家庭のことを切り盛りする主婦でしたので、組織を作るということがこんなにも大きなエネルギーがいるとは考えてもみませんでした。
1100号のお祝いをし、まもなく百周年を迎えようとする「若葉」の灯を消さないようにという心ある誌友の方たち、立ち上げのメンバー、役員、会員の一人一人のお力添えのおかげで、
2023年(令和5年)1月になんと創刊号を発刊することができたのです。